鏡を見るたびに気になる抜け毛や、原因がわからないまま続く体調不良。
その二つの悩みは、実は体の内側からの重要なメッセージかもしれません。
特に女性に多い「甲状腺」の機能異常は、髪の健康に深く関わっています。
この記事では、抜け毛の背後にある甲状腺とのつながりについて解説し、その特徴や治療法について紹介します。

やさしい内科クリニック院長 山村 聡
日本内科学会認定内科医。専門は糖尿病・内分泌疾患。
経歴
・九州大学医学部卒
・高邦会 高木病院 臨床研修
・昭和大学 糖尿病・代謝・内分泌内科 助教
・銀座有楽町内科 前院長
・東京ミッドタウンクリニック等で糖尿病・内分泌診療に従事
・やさしい内科クリニック開院
※この記事は、消費者庁や国民生活センター・厚生労働省の発信する情報を基に、作成しています。
甲状腺と髪の基本知識
抜け毛や薄毛の原因を理解するためには、まず体全体の仕組みを知ることが不可欠です。
ここでは、体の代謝を司る司令塔である甲状腺の働きと、髪の毛一本一本の成長サイクルとの深い関係について、基本から分かりやすく解説していきます。
甲状腺とは?
甲状腺は、首の前面、のどぼとけのすぐ下にある蝶が羽を広げたような形をした小さな臓器です。
その主な役割は、甲状腺ホルモンを生成し血液中に分泌すること。
このホルモンは血流に乗って全身の細胞に届けられ、体の新陳代謝、つまりエネルギーの生産と消費の速度をコントロールします。
まさに、生命活動を支える代謝のエンジンと言えるでしょう。
甲状腺と髪の関連性について
髪の毛は、「毛周期」と呼ばれるサイクルを繰り返しながら生え変わっています。
髪の毛周期(ヘアサイクル)
- 成長期:毛母細胞が活発に分裂し、髪が太く長く成長する期間(約2~6年)
- 退行期:髪の成長が止まる移行期間(約2週間)
- 休止期:成長が完全に止まり、自然に抜け落ちるのを待つ期間(約3~4か月)
この毛周期を正常に維持するために、甲状腺ホルモンは決定的な役割を果たしています。
甲状腺ホルモンは、毛母細胞の活動を促進し、髪の成長期を適切な長さに保つための重要なシグナルとして機能するのです。
そのため、ホルモンの量が多すぎても(甲状腺機能亢進症)、少なすぎても(甲状腺機能低下症)、このサイクルが乱れ、異常な抜け毛につながることがあります。
甲状腺機能低下症と薄毛・抜け毛

甲状腺の機能が低下すると、全身の代謝活動が緩やかになります。
この代謝の低下が、髪にどのような影響を及ぼすのでしょうか。
本章では、甲状腺機能低下症が引き起こす脱毛のメカニズムと、それに伴う特徴的な兆候について詳しく解説します。
脱毛のメカニズム
甲状腺機能低下症は、全身の新陳代謝を低下させ、エネルギー消費を抑制する状態です。
このエネルギー供給の不足が、毛母細胞のように細胞分裂の活発な組織に特に影響を及ぼします。
機能低下症による脱毛メカニズム
- エネルギー不足:新陳代謝の低下により、毛母細胞へのエネルギー供給が滞る
- 成長期の短縮:エネルギー不足で髪の成長期が短くなり、十分に成長できない
- 休止期への移: 多くの髪が時期尚早に休止期に入り、数か月後に抜け毛が著しく増加する(休止期脱毛症*)
*何らかの原因で成長期の髪が時期尚早に休止期へ移行し、数カ月後に抜け毛が急増する脱毛症
甲状腺機能低下症による脱毛のサイン
甲状腺機能低下症による髪の変化には、いくつかの特徴的なパターンが見られます。
- 脱毛パターン:頭部全体の髪が均一に薄くなる「びまん性脱毛」
- 髪質の変化:代謝低下で皮脂分泌が減少し、髪が乾燥してパサつく。ツヤがなくなり、もろく切れやすくなる
- 体毛の変化:眉毛の外側3分の1が薄くなるのが特徴的。脇毛やすね毛なども薄くなることがある
代表的な原因と脱毛以外の全身症状
日本における甲状腺機能低下症の最も一般的な原因は、橋本病です。
これは自己免疫疾患の一つで、免疫系が自身の甲状腺組織を攻撃し、慢性的な炎症を引き起こすことで、徐々に甲状腺の機能が低下していく病気*です。
脱毛は、甲状腺機能低下症が引き起こす多くの症状の一つに過ぎません。
もし抜け毛に加えて、以下にご紹介するような症状が見られる場合、両者は関連している可能性があります。
甲状腺機能低下症の主な全身症状
- 全身の倦怠感、易疲労性
- 寒冷不耐性(寒がり)
- 体重増加
- 便秘
- 皮膚乾燥
- 粘液水腫(顔や手足のむくみ)
- 記憶力・集中力の低下
- 月経異常
これらの症状と髪の変化を合わせて観察することは、甲状腺機能低下症の可能性を示唆する上で重要です。
*参考:日本内分泌学会「橋本病(慢性甲状腺炎)」
甲状腺機能亢進症と薄毛・抜け毛

甲状腺ホルモンが不足すると脱毛が起こるため、ホルモンが過剰な状態は髪に良い影響を与えると思うかもしれません。
しかし、現実はその逆です。
甲状腺の機能が過剰に活発化することもまた、深刻な脱毛を引き起こします。
本章では、甲状腺機能亢進症が脱毛を誘発するメカニズムや特有の症状について解説します。
脱毛のメカニズム
甲状腺機能亢進症では、過剰な甲状腺ホルモンにより全身の新陳代謝が異常に活発な状態となります。
この状態は髪の毛周期を混乱させ、サイクル全体を加速させるのです。
機能亢進症による脱毛メカニズム
- 代謝の過活動:新陳代謝が異常に活発化し、毛周期のサイクルが加速する
- 成長期の短縮:成長期が大幅に短縮され、髪が十分に成長する時間が奪われる
- 未熟な髪の脱毛:未熟で細い髪が次々と休止期へ移行し、大量の脱毛が生じる
甲状腺機能亢進症による脱毛のサイン
甲状腺機能亢進症による脱毛も、機能低下症と同様に頭部全体のびまん性脱毛が特徴です。
しかし、髪質には対照的な変化が見られます。
- 脱毛パターン:頭部全体のびまん性脱毛
- 髪質の変化:髪が異常に細く、柔らかく、コシのない質感になる傾向がある。ハリやボリュームがなく弱々しい印象に。
これは、毛周期が速すぎるために髪が十分に成熟する前に抜け落ちてしまうことが原因です。
代表的な原因と脱毛以外の全身症状
甲状腺機能亢進症の代表的な原因は、自己免疫疾患の一種であるバセドウ病です。
これは、免疫系が誤って甲状腺を常に刺激する抗体を作り出してしまう病気で、この抗体の作用により甲状腺ホルモンが過剰に産生されます。
原因は明確にはなっていませんが、遺伝的な要因を持つ人がストレスや妊娠などをきっかけに発症すると考えられています。
代謝の亢進を反映した全身症状は特徴的で、抜け毛とともに以下のような症状が見られる場合、この病気の可能性が考えられます。
甲状腺機能亢進症の主な全身症状
- 動悸、頻脈
- 暑がり、異常な発汗
- 食欲は旺盛なのに体重が減少する
- 手の指の震え
- イライラ、落ち着きのなさ、不安感
- 下痢
- 眼球突出などの眼の症状
これらの症状は、体が常に過剰に活動している状態から生じます。
*参考:日本内分泌学会「バセドウ病」
甲状腺疾患による薄毛の診断方法
抜け毛や体調の変化から甲状腺の異常が疑われる場合、自己判断を続けるべきではありません。
本章では、医療機関を受診するタイミングの目安と、診断の決め手となる具体的な検査方法について解説します。
受診の目安となるサイン
ご自身の状態が受診を必要とするかどうかの判断材料として、以下のサインに一つでも当てはまる場合は、専門医への相談を強く推奨します。
- 3か月以上、抜け毛が続いている
- 抜け毛の量だけでなく、髪の質(パサつき、細くなるなど)にも明らかな変化がある
- 甲状腺機能低下症または亢進症の全身症状が、抜け毛と同時に複数見られる
- 眉毛の外側が薄くなってきた
これらのサインは、体が発している重要なメッセージである可能性を考え、早めに医療機関を受診することが大切です。
診断の決め手となる血液検査
甲状腺疾患の確定診断は、血液検査でホルモンや自己抗体の値を調べることで行われます。
特に重要なのが、脳からの指令ホルモンであるTSH(甲状腺刺激ホルモン)の値です。
- TSH(甲状腺刺激ホルモン):TSHが高い場合は機能低下症、低い場合は機能亢進症が疑われる
- FT4・FT3(甲状腺ホルモン):TSHの値と合わせて診断を確定する
- 自己抗体:橋本病やバセドウ病といった原因の特定に用いる
特に注意が必要なのが「潜在性甲状腺機能低下症」です。
これは、甲状腺ホルモン(FT4)の値は正常範囲内であるものの、脳が「ホルモンが足りない」と判断して甲状腺を刺激するホルモン(TSH)を過剰に分泌している状態を指します。
この段階でも抜け毛などの症状が現れることがあるため、TSHの値は注意深く見る必要があります。
甲状腺疾患による薄毛の治療
甲状腺の異常が原因であると診断された場合、適切な治療で髪の状態は改善に向かいます。
しかし、その回復には毛周期の関係で一定の時間が必要です。
本章では、原因となっているホルモンバランスの異常を是正するための具体的な治療法について解説します。
まずは原因療法
甲状腺疾患による脱毛に対する最も重要かつ根本的な治療は、原因となっているホルモンバランスの異常を是正することです。
全身の代謝が正常化しない限り、育毛剤などの局所的なケアだけで髪の状態を改善させることは困難となります。
甲状腺機能低下症の治療法
標準的な治療法は、不足している甲状腺ホルモンを薬で補充するホルモン補充療法となります。
- 治療法:ホルモン補充療法
- 薬剤:合成甲状腺ホルモン製剤(レボチロキシンナトリウム等)を毎日1回服用
これは、体内で不足しているホルモンを補う治療法で、医師の適切な管理のもとで行われる標準的な治療です。
*参考:日本内分泌学会「甲状腺機能低下症」
甲状腺機能亢進症の治療法
主な治療法は、甲状腺ホルモンの過剰な産生を抑える抗甲状腺薬の内服です。
- 治療法:抗甲状腺薬の内服
- 薬剤:メチマゾール等が用いられる
この治療では、白血球減少などの副作用の有無を確認するため、治療開始の初期には頻繁な血液検査が必要となります。
*参考:岐阜赤十字病院「甲状腺機能亢進症の治療」
甲状腺疾患による薄毛についてよくある質問
ここでは、甲状腺疾患による薄毛の治療を進める上で、多くの方が抱く疑問にお答えします。
治療に関する不安や悩みの解消にお役立てください。
Q1:甲状腺の薬は一生飲む?

山村院長
A1:病状によりますが、橋本病などでは生涯にわたる服用が必要な場合が多いです。
甲状腺の機能が自己回復困難な状態の場合、不足しているホルモンを薬で補い続ける必要があります。
これは体を正常な状態に保つための重要な治療です。
血中濃度を安定させることが大切なため、飲み忘れた場合なども含め、服用方法は必ず主治医の指示に従ってください。
自己判断での中断は、さまざまな体調不良を再発させる原因となります。
Q2:治療始めたら抜け毛増えたはなぜ?

山村院長
A2:ヘアサイクルが正常化する過程で起こる一時的な現象の可能性があります。
治療によってホルモンバランスが正常化し始めると、乱れていた毛周期がリセットされます。
その過程で、休止期にあった髪の毛が一斉に抜け落ちることがあり、一時的に脱毛が増えたように感じられるのです。
これは回復過程の一環であることが多く、通常は数ヶ月で落ち着きます。
髪が生えそろうまでには半年~1年以上の時間が必要です。
Q3:甲状腺の薄毛に育毛剤やサプリは効く?

山村院長
A3:原因はホルモン異常のため、まずは原因疾患の治療が最優先です。
市販の育毛剤やサプリメントは、あくまで頭皮環境を整えるなどの補助的な役割に留まります。
特に、ヨウ素(昆布などに含まれる成分)のサプリメントを自己判断で摂取すると、かえって甲状腺の病状を悪化させる危険性があります。
何らかのセルフケア製品を使用したい場合は、必ず事前に主治医へ相談し許可を得てからにしてください。
Q4:治療すれば髪は元通りになる?

山村院長
A4:多くの場合で改善が期待できますが、回復には個人差があります。
適切な治療でホルモンバランスが正常化すれば、脱毛の進行は止まり、多くの場合で髪の状態は改善に向かいます。
しかし、毛量が完全に元通りになるかどのくらいの期間で回復するかは、元の疾患の状態や年齢、体質などによって異なります。
治療開始から半年~1年以上かけてゆっくりと回復することが多いため、焦らず根気強く治療に取り組むことが大切です。
Q5:昆布やわかめ、髪にいいから食べた方がいい?

山村院長
A5:自己判断での過剰摂取は、かえって病状を悪化させる可能性があるため避けるべきです。
海藻類に豊富なヨウ素は甲状腺ホルモンの材料ですが、過剰に摂取すると、特に橋本病の方では甲状腺機能のさらなる低下を招くことがあります。
日本の食生活でヨウ素が欠乏することは稀であり、通常の食事で適量摂る分には問題ありません。
健康に良いからといって、サプリメントや健康食品で大量に摂取することは絶対にやめましょう。
Q6:抜け毛がひどい時は何科を受診すべき?

山村院長
A6:まずは内分泌内科、またはかかりつけの内科への相談をおすすめします。
抜け毛の他に、全身の倦怠感、体重の変化、むくみ、動悸といった甲状腺疾患を疑う症状がある場合は、専門である内分泌内科が最適です。
まずは原因を特定することが重要ですので、自己判断で皮膚科やAGA専門クリニックに行く前に、全身を診てくれる内科で相談し、血液検査を受けることを検討してください。
Q7:ストレスで薄毛になる?甲状腺にも悪い?

山村院長
A7:はい。ストレスは脱毛の誘因となり、甲状腺疾患の増悪因子にもなり得ます。
過度なストレスは自律神経やホルモンバランスを乱し、頭皮の血流悪化などを通じて毛周期に悪影響を与えることがあります。
また、バセドウ病などの自己免疫疾患では、強いストレスが発症や再燃の引き金になることが知られています。
心身の健康を保つことは、髪だけでなく甲状腺の病状を安定させる上でも非常に重要です。
まとめ
原因不明の抜け毛や体調不良は、甲状腺疾患のサインかもしれません。
診断は簡単な血液検査で可能であり、適切な治療によってホルモンバランスを正常化させることができます。
髪の回復には時間がかかりますが、根気強く治療を続けることが大切です。
一人で悩まず、まずは専門医に相談することが、ご自身の健康と髪を取り戻すための確実な第一歩となります。